メガネ雑感


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本日は、月1回の粘土教室。先生は、NHKの「趣味悠々」で
樹脂粘土教室を開講される、川口紀子先生の直弟子のT先生。
↑左側メガネ吊紐の小花を、粘土で作りました。
他のクラスメートは、みなさん、素敵な素敵な世界でたった一つの
色とりどりのネックレスを作りました。私のみ、メガネ吊ひも。
写真は眼鏡屋さんを開店してるわけではありません。
私、小学生の頃から、どうも黒板の字が見えてなくて
中学2年になってから、検査ではっきりした。裸眼で0、1と0、2。
(近視は母方の血統を引いている。勉強のしすぎではありません。)
身長順で、席はいつも後ろの方だったのでまるで見えなかった。
いつも後ろの席の友人に帳面を見せてもらいながらの不自由さでした。
中学2年で初めて、母とバスに乗って、はるばるI市の
繁華街に買いに行った。
自分が住んでる町には眼鏡屋さんが無かったので。
その時のオドロキは今でも鮮明に思い出す。
物の形の一つ一つが、クッキリしてる。そして帰りのバスの中では、
もっと驚いた。遠方の緑に彩られた風景や、道路沿いの家の屋根屋根に
形があった。・・・そして黒板の字がよく見えるようになった。
だが、しかし、学校ではメガネを殆どかけなかった。
そして、日常にもあまりかけなかった。何故かって。
カッコワルイ。と気取っていたから。
カッコワルイなんて考えず、母が苦しい家計の中から懸命に買い与えてくれた
メガネを素直にかけて勉強していたら、東大卒???の肩書きで
今頃はゴットハンドの脳外科医になってたかもね。(今、憧れてる職業)。
今はれっきとした、右上腕筋過使用症候群の継続中。で右上腕筋の痛みは
未だ依然としてな完治せず。
裸眼の0,1と0,2は今日まで変わらず。但し、めがねの度数は微妙に変化している。
特に45歳頃から。そのたび、完璧を期待して買い換えること度々。でも
メガネでの矯正は0、8が限度。結果数えてみたらメガネ13ケ程と
メガネチェーン多数。メガネは全部近視用です。
なぜか新聞、本は裸眼でよく見える。メガネをかけると逆に読めない。
これらのメガネはその時々に応じて使い分ける。全部フル使用中です。
メガネ自慢ではありません。近視の目が、いかに不自由で、めんどうで
不経済かとゆうことを言わんとしてるのです。
「ダイアナ妃、最後の瞬間に至る」2時間のドキュメントをテレビで観ながら
このダイアリーを書いてます。200年後も世界の歴史として
語り継がれていくのだろうな〜
自分なんか、この世に生存してたことさえもないことになるんでしょうね。多分。
いや、その時代に生きていた日本人の一人としては人数には
かぞえられますね。200年後も地球と地球の人類が
より、素晴らしいことを望みつつ、本日のダイアリーの終了です。