東日本大震災と我が実家でのドサクサ

hibi2tiyo2011-03-24

私はここ3日間クタビレ果てた
(I was dead tired for these three days.)
前回ブログ更新したのが3月9日。3月11日の東日本大震災
被害には全く関係のない九州に住んでいるとはいえ、
心身共に萎えてしまい、遠地ゆえなすすべもなく、
容赦ない自然の脅威にただただ呆然とするばかりで、
それでもいち早くグリーンコープ本部が被災地に物資の輸送を
してるニュースを見たり、グリーンコープがいち早く支援金の
申し込み記帳を設定してくれた書類に申し込みをしたりと、
何か少しでも自分にできることをと、やっと我に返り出したら
今度は原発事故!!おまけに東電は計画停電をするすると
恫喝まがいの胡散臭いことまで始めて、天災のみならず!
人災迄に及んできて、おまけに其の事にコメントしてる
国会議員の閣僚達の棒読み対応に及んでは‘世も末だ’と
陰々滅滅としてうつうつと暮らしてた。
亡くなった方々、被害者の方々には、ただただ涙に暮れるだけで・・・
そういう状況の中でも、17日から埼玉に住んでる2番目の
弟が、3泊4日で実家に来てた。埼玉でも随分揺れたとのこと。
地震は父を外科病院に連れて行ってる間に起こってて、
家に帰ってテレビをつけて初めて知ったのが夕方5時半。
直ぐ東京、埼玉の弟宅に電話入れたけど其の時は通じなかった。
弟が20日帰るのと入れ違いに、我が次男一家が祖父の見舞いも兼ねて
1泊2日で我が実家に来てくれた。
小雨の中、次男家族に手伝ってもらって実家の駐車場を拡張。
どうにか3台車が駐車できるようになった。
その間目を離したすきに父がまたまた○○コまみれ(+_+)!!
なんせ、自分で脱いでゴチャゴチャするので全身のみならず、
歩いたところ、座ったところ全てを探偵犬まがいに探して
這いずりまわって拭き上げるのでアリマス。。
代わりに3億円の宝くじが当たルトいわれてもあたしゃイラン!!
今回も座布団1枚捨てた。ソファカバー2枚も繰り返し洗濯。
次男が父の後始末の手伝いをしてくれて(服類の着替えさせ方等
お見事な技でした)パンツおむつのはかせ方等は腰を落として
要領がよかった・・・のでアリマス。
ワタシ等は中腰でして腰の筋をひねって、2週間もたつのに
今だぎっくり腰風の腰痛で時々!ビリッ!とする痛みに
苦しんでるのでアリマス。
地獄に仏・・・とはこのことと大いに感謝。
大騒動!ガナリ立ててるワタクシめを見て次男曰く
「お母さんは、介護の仕事は無理だねえ〜〜〜」って(*^_^*)
↓ここで一服
3月20日。実家の庭から写した小雨模様の中の
「お雛様水上パレード」です。毎年あります。
去年は裏庭までは草刈り手が回らず枯れ草ぼうぼう。
我れ思うに、これもまた風流ではありますまいか?




ママ様方の綺麗なお着物がしみしみになっただろうねえ〜〜
・・でも今年は大地震後で小雨でもあったし
雅樂の調べもなんとなく、しんみり物静かで浮き立つ気配は
無かったです。雅樂の音を今思い出しても、じんわり涙が出ます。
サテサテ、父の右足裏の傷が治らず、痛がり出したし、
20,21日は休診で付け替えもしてないし、
足の甲全体が赤く腫れてきたので3月22日から3泊4日の
ショートステイに行く途中に行きつけの外科に行った。
先生が慌てて「これは足指が壊死しかかってる、Y病院に紹介状書くので明日にでも行ってください」とのこと。「今から直ぐ行きます」と実家から近い総合病院(4年前までは県立病院だった。
今は財団法人の運営になってる)に直行。
Y病院の外科医殿が、父のかかりつけの病院に電話し、内科の病状をたずね、且つ昔父が腿の血管の手術等をした傷跡を調べたり(これは
見つからなかった)なんせ父は老耄だし、私は不確かだし、
医者殿曰く「この傷は怪我とかじゃなくて糖尿病とか内科から影響してる症状のようだ」と。
「さてどうするか、なやましい、だがどうにかしなくちゃいけない」と血液検査したり、足指の
レントゲン撮ったり、それを参考にしながら、他の外科医者殿と
あれこれ相談。
「若し、切断となると、この手術の専門病院の大牟田に行かなくちゃならない」とのこと。
・・・でとりもなおさず、「今日は抗生物質と痛み止めの点滴を」とのことで夕方までかかって
2本の点滴を。この間傍で見張らなくてはならずで・・・
ショートステイデイケアマネージャーに電話してショートステイ
取りやめ、傷が治るまで当分デイケアーも休みとなり、・・・
其の日帰りは、デイケアマネージャーが病院まで来てくれて、
父を我が車に乗せる補佐をしてくれて、家まで来てくれて部屋に
あげてソファに座らせるところまで手伝ってくれた。
自分一人では出来ることではありません。
なんせ父は背も高く若いころは174センチ位はあった。
体重60Kはある。・・で23日も同じ点滴実施。
・・で昨夜は父は廊下でドデンとこけて、慌てて飛んで行って
起こし上げて体中触ったけど
「痛くない!!」と啖呵切るので安心してたけど・・・
なんせ点滴2本もしてるので1時間置きに尿をしたがり
父の部屋に飛んで行って、し尿瓶をあてがう・・のです。
・・で夜中パジャマの左袖に血がにじんでたので脱がしてみたら
腕の中ほどのところの皮膚がべロッとめくれてた。
おまけに、下着の毛シャツが張りついててはがすのに・・アァイタ!
出血はあまりなかったけどかなりの範囲の上皮膚がめくれてて・・・
当方腰抜かしそうだったけど、本人は全く痛がらずで、
マキロンで数回消毒をしてガ―ゼの上からもマキロンを流して
包帯をしてあげて今日もまた病院へ。
足と腕と2ヶ所の治療になりました。今日も2種類の点滴2本。
大牟田の専門医と相談の上決まったらしく、当分今のY病院に通院しながらの治療を続けることになった次第です。
当分毎日の通院が続きそうです。毎日6時間がかり。
いつまで身が持つか・・自分が。。
ショートステイデイケアの間に自分も歯医者通いをする予定だったけど、当分全てのことが不可能になった。
父の傷が治らないことには身動きとれない。
医者殿曰く「昔だったら命が無くなる病も、今は治療が進んで
命が長らえる」と・・・。
父は糖尿病は軽い軽い数値です。なんにせよ皆さま糖尿病には
くれぐれもご注意を!色々の病気を併発するようですよ!
そして、思うようには治らないそうですよ!!
↓気分転換。実家に咲く水仙色々(殆ど終わりかけです)





しかし、父のドサクサ紛れがなかったらブログの更新は
出来なかったかもしれない。
自然の破壊力のすさまじさと、今まで余り関心もなく、
よく分からなかった原子力発電所の人災の底恐ろしさを考えると
(日本は世界でも多数の原発を作ってるとのことです)
(この山だらけの日本で、なんで?
原発が一番効率がよいというだけなの?
それとも、大企業と時の権力者たちが都合のいい理屈をつけて、
なし崩しに多数の原発を作ったの?どう考えても分からん)
世界で唯一のしかも2度までの被爆国の日本が何故?)
無関心の国民のなせることだったのか?と考えながらも
私は、存分にエアコンもつけ、炬燵の中でぬくぬくと
父のドサクサを書いてます)
震災地の方々が炬燵が使えるといいだろうなあ〜〜〜。
私は今年20年振り位に炬燵を使ってます。