宇佐神宮

hibi2tiyo2012-01-12

1月
12日 
 木曜日
Thursday January
(Jan.) 12)
1月も木曜日も辞書見ながら書きました。
今だに見なきゃ書けません・・・ナサケナイ
(;一_一)
両親が好んで日めくりカレンダーを使ってたのをいつも
よくこんな面倒なことするなあ・・と思いつつ見てたけど・・・
実家に毎年持って行ってた戴きものの日めくりカレンダーを今年から
我が家で使ってます。めくると結構楽しいものです。
紙が薄いので(なんせ365枚ある)めくるとき、ひらひらひらひらして、まるで羽根をちぎって飛んでいくが如きです。
日にちが毎日1日1日飛んで行くのを実感します。日めくりカレンダーに、こよなく情感を感じるのも年のせいかなあ〜〜
さてと、去る9日、宇佐神宮に行ってきました。
西鉄バス地元営業所の日帰りツアーに独自で参加しました。
大分県宇佐は亡き父の出身地、父の実家があるところです。
大分県宇佐神宮






長い表参道を歩き百段ほどの石段を上がると本堂があります。

↓普段はこの大門は扉が閉まってるそうです。
祭りの神輿を出す時神輿とギリギリすれすれの大きさゆえに
そのたび、穴傷ができて、毎年祭りの後は門柱の補修をするそうです
大木の門柱に布を巻き漆を塗り重ねるそうです。毎年費用がかかる
そうです。神様も、人間もお金の苦労は尽きぬものらしい。
自分はお金の苦労せんでいいようにくれぐれもお願いしようっと思った。


↓この屋根に特徴があるらしいのだけど修理中でシートがかぶせてあったので、ガイドさんが見せてくれた写真を写しました。
本堂の奥の方にありまして覗きこまないと見えないようです。

さてと、ここからが本番です。
☟西参道から本参道に入る右手の所にある芝生の草地です。
昭和23年のころの風情がそのまま残ってました。
当時の方がもう少し樹木が鬱蒼として小さな池は無かったように
記憶します。


大分県宇佐市は昭和22年1月中国大連から両親と我ら姉弟6人で
引き揚げてきて1年余、父の実家で暮らした場所です。
父は引き上げ後、福岡県の鉱業所(本社は東京)に就職して家族を呼び寄せるまで単身赴任してる間、母(27歳)と私と弟達3人(5,3,1歳)の5人で暮らしてました。父の実家の別棟にある、1階は倉庫と
かいこ飼育所。この別棟2階の2間続きの部屋で、我らが引き揚げ
ジャリ部隊はイキノビテました。祖母(父の母)が、かいこを飼育してました。白いカイコがクワの葉を、しゃくしゃくしゃく音を立てながら食べていたのを、初めて見た驚きと珍しさ、その咀嚼する音と、丸っこいかいこがゴソゴソ動く気味悪さを、その当時の鮮明な記憶として今だに折につけ思い出します。
父の実家は村落でも富農の家だったと思いますが(父が生前次のように言ってました。「村では、自分の家だけが自作農で、他は全部小作農だったと」その内容はワカリマセンままです。子供心にも富農だったと、そして今でもそう思います。でもでも・・・我ら引き揚げジャリン子たちは白いご飯を食べた記憶がないのです。いつも雑炊らしきものを食べてました。
引き揚げて来て父が単身赴任するまでは確か白いご飯を食べさせてくれましたけど、父が留守になってからは別棟で別所帯の炊事でした。
但し、かまど、井戸水は本家と一緒で、方や白米、方や雑炊・・ダッタ・・と胸の奥深く深く記憶してるのでアリマス。本家は、父方(私にとっては)の祖母、伯父、叔父夫婦、妹の大人6人と馬車、牛、鯉(食用)が泳いでいる池が家の庭先にあり、田畑山持ちの農家でした。
さて、話は変わります。
父が単身赴任中の或る日、母が4人の子供たちを手を引き、内一人を背負い
宇佐神宮に遠出の遠足に連れて行ってくれたのです。
その頃は今のような大きくて長い表参道はありませんでした。
宇佐駅から宇佐神宮まで走っていた軽便鉄道の機関車が展示してありました。

これを参道入り口で見たときは歓喜の歓声を私は上げました。
昭和22年から昭和45年廃線になるまで軽便鉄道が走ってたそうです。
駅跡地が駐車場や自動車道になってるそうです。
しかし、あのように貴重な軽便鉄道廃線なんていかにも惜しい。
・・ということは昭和23年に出来たての軽便鉄道に乗って
母が宇佐神宮まで連れて行ってくれたのです。うっすらと軽便鉄道
乗ったことを覚えてます。(今思えばその後小学高学年のころの夏休みに寄食を兼ねて1ヶ月近くこの田舎で遊びほおけたこともあった)
その時に、義理の伯母に宇佐神宮参りに同伴させられたことがある。
皆、軽便軽便と騒いでた。成程軽便鉄道ができて間がなかったのですね。マッチ箱のようなカワイイ小さな客車と機関車でした。
この軽便鉄道がカアイかった頃の私の思い出の一つです。
・・でその時
母が白米のおにぎりを竹の葉に包んで持って行ってくれたのです。
そのおにぎりを上記の西参道を歩いた後に(当時はこの小さな西参道が参道だったのです)この芝生の草地で休憩して皆で食べたのです。
その時の感激喜びたるや今だにその時の自分の喜びが彷彿とよみがえります。弟達二人も飛び跳ね、嬉々として駆けづり回ってたのを
昨日のことのように目に浮かびました。当時写真に写ってる池は
無かったような気がします。母が3番目の弟をおぶって、ジャリン子達におにぎりを手渡してくれた嬉しそうな顔がありありと目に浮かびます。改めて「お母さんありがとう。」§^。^§
☟☆おまけ☆
エグザエルのグループに宇佐さんという人がいるそうです。
その人が宇佐神宮に同性名のよしみで、熱心にお参りして
この木に手を当ててひたすら大願成就(たいがんじょうじゅ)を
願ったそうです。そのあと歌は大当たり、人気もUPをひた走りしているそうです。緑の服のボランティアガイドさんの熱心な説明あり。
故にワタクシメも大木に両手を当ててひたすら願いました。

大木の樹皮は人の手の願いでつるつる。しかしふんわり、温かく、
大らかな手触りで気持ち良かったです。大木の命が伝わる感じでした


本命の宇佐の神様は欲ばってお願いしてお願いしてお願いしても
いいそうです。故に本殿でもひたすら欲を張って願いまくりました。
両方とも欲の内容はナイショ!
宇佐神宮の詳しいことはこちらをどうぞ。
宇佐神宮
http://www.usajinguu.com/