薬害肝炎患者のリスト放置「国に責任なし」厚生省調査グループの判断

hibi2tiyo2007-12-01


本日から12月「あ〜〜あ〜、アッ!とゆう間に今年も334日終わったな〜〜」
死ぬ時も「あ〜〜あ〜、アッ!とゆう間に一生終わりだね〜〜」と思うのかな〜?
昨日、厚生労働省の薬害肝炎調査チームが「患者への告知の配慮があって
しかるべきだった」としながらも「国の責任は認めず」と判断しました。
患者の胸のうちを思うと、胸が押しつぶされるぐらい胸が痛いです。



手前の3番目の弟がン十年前、大学卒業後、関西の企業に就職して4〜5年後
十二指腸潰瘍を患い、暫らく関西の病院で勤務しながら治療、後、地元の支店に
転勤で帰ってきたのだけど、出勤途中、駅洗面所で突然失神するほどの大量の
吐血で入院した。両親の住む地元病院に入院した。
もう随分大昔のことで、当事者も平成14年に亡くなり、母も平成16年に
亡くなったので、勤務先の関西と地元病院で如何なる治療をしたのか
今となっては知るすべは無い。父も具体的な治療方法は知らない。
なかなか完治しないので、大学病院で色々検査をしたところ肝炎であることが
判明した。今から33年前のことです。両親も大学病院で検査をと医者から
いわれ、検査したけど、弟の肝炎は先天性の肝炎ではなく、後天性との結論で、
亡くなるまでの28年間の両親、弟、弟の家族の心身の苦労を日々見てた。
(弟家族は我が家から車で5分のところに住んでいた)
最終的には肝硬変〜肝癌に変化していくプロセスは大学病院に入退院の
繰り返しで、手術もしたけど如何ともしがたく、手術後5年で亡くなったけど
特に手術後の切開後の傷を最後まで大変痛がっていた。
弟は「傷のあとの痛みさえなければ僕は健康そのもの」と大好きな碁を
仕事の後、暇さえあれば碁会所に入り浸っていた。家族の心配も何のその・・で
夜、弟の家に寄っても、必ず留守で、家で待ってると、10時過ぎに帰って来て
直ぐ風呂に入り、家族の者から身ぐるみ剥いで着替えさせられていたのを思い出す
もうもうたる紫煙の中に3時間は浸ってるので全身これタバコの煙の塊なのです
天真爛漫、楽しい弟だったので、自分は、弟亡き後、世の中の面白さが半減し
母亡き後は、世の中の楽しさが半減した。
弟はモルヒネで意識が混濁する前「せめて60歳までは生きたかったなあ」と
言ってもいた。最近薬害肝炎の記事が多いので、常に弟のことを思い出す。


弟の場合は原因が不明のままだったけど、薬害肝炎と判明している沢山の方々が
今回の調査団チームの「国の責任認めず」をどのようにお聞きになったか
想像しただけでほぞをかむ思いです。
自分は、いかに高額の治療費といえども全額無料とするべきと思ってます。
弟の場合は、高額医療費の払い戻しはあったけど、直らぬ病気が生涯続くので
本人は言わずもがな身内の者も、心身ともに並大抵のことではないですよ。
そういえば、藤沢周平さんも若い頃6年間ぐらい結核で療養、大手術をして
その後、長〜く肝機能が悪く、最後肝機能不良で69歳で亡くなりましたね。
天国の愛する人たちに合掌です。


気分転換と目の保養に時々行く「オレンジジャム」とゆう手作り製品の
雑貨屋さんで見つけた↑DVD2枚セットを、1週間前2000円で買いました。
本日午前中初めて見ました。
自分のブログは、はてなダイアリーを利用してるのですが、「FC2」は
如何なる登録のしかたかと、新しい発見があるのではとの期待と興味で購入。
午前中かけて2枚みました。イヤ〜見てよかった。新しい発見が多々ありました
カバーの裏には下記のように書いてあります。
「ブログを書くための方法を初心者でも分かるように、
映像でゆ〜っくり収録。初期設定から文章の書き方、画像のアップ方法まで
とことん教えます!」と書いてあります。ヨ。