山口県「湯田温泉」・島根県「津和野」

hibi2tiyo2008-01-29



27日(日曜日)から1泊2日の小旅行。高校同期生のグループ8名と。
行き先は「いい湯だな♪湯田温泉と山口ぶちうま!萩・津和野 2日間」
総勢49名のツアー旅行。
楽しかった!!の一言に尽きます。



↑1は初日、下関の高台の円形回転レストランでの昼食時(ふぐ定食)に
写した関門海峡。後4ケ所の名所地を巡り湯田温泉泊まり。



↑2は二日目の島根県津和野の街路脇の川に放流されている鯉。720匹程放流してる
とのこと。冬は動きが無く、餌を食べないそうです。
でも丸々と太ってデカい鯉でした。メタボ鯉だと津和野案内人の説明あり。
チナミニ、ワタクシハ寒くてジイーットしてても普通に(イヤ退屈故に)
普通以上に飲み食いするもんね。そのくせ「何故か太る一方?」と疑問だらけのワ・タ・シ・・・と鯉と、どちらが高等動物なるや?
後は、萩窯元他6箇所程の地名所めぐり。


↑3は津和野銘菓「源氏巻」何故、源氏巻と言うのか聞き漏らしたけれど
箱に下記のような説明あり。カステラ風生地で餡を巻いたかすまき風お菓子。
本日、友人宅にだべりに行く時、他の分は手土産に持参した。


頃は元禄十一年、赤穂の浅野内匠守の刃傷が起きる前のことです。
当時の津和野藩主、亀井滋親公が勅使接待役を命じられ、吉良上野介
典儀古例の指導を受けていましたが、浅野同様、数々の辱めを受けて、
大いに憤り、吉良を斬って自らも自害する決意をしました。
それを知った国家老、多胡外気が、お家の一大事と早速吉良家に進物を送り届けたところ、吉良の態度は一変、殿様は無事大役を果たすことが出来ました。
その時の進物「小判を包んだ形のお菓子」が源氏巻の原型になった
とゆうことです。
津和野を救った縁起の良いお菓子として、広く親しまれています。



この説明を案内人から説明を受けた時は、なんだかちょっと考え込んだ。
浅野内匠守のあだ討ちの、大内内蔵助の話は義の代表みたいにもてはやされ
有名な話だが、国家老、多胡外気の話は聞いたことが無かったよ。
なぜ内蔵助は菓子の下に小判を包む才覚は無かったのか?
故に四十七士共々切腹切腹を命ぜられたが故に美談になったのか?
反面、多胡外気は小判を菓子の下で殆ど美談にならなかったのか?
自分がその時代の武士だったら、どちらの藩に所属したいか?

結果論から言えば。多胡外気派かね?
赤穂藩切腹を免れたとしても、お家取り潰しは逃れようも無いしね。
兎に角、結果が出る前の段階での選択が困難な問題ですね。
いまだ、きちんとした答えが出ない。



でも何となく思う。所詮小判は、ただの小判とゆう名の物。
それで行事がスムーズに進行するなら教授料として払えばどう・・とも思う
今時の守屋某がらみのの問題と似てるような気もするけど、
似てるようで、全く似てない問題ですよね。