九重(ココノエ)夢の大吊り橋・熊本城








↑昨土曜日の高校同期会の秋のミニ旅行の数枚。
朝ちょっと雨降るかな〜と心配したけど、程よい天高くの中でのバスツアー。
吊橋・と最近復元されたキンキラ熊本城本丸御殿を見なくちゃね!との
思いが同時に二つとも無事完了でヤレヤレと、デジカメ整理しながらの
余韻の中での記録。
早朝から夜までの長丁場のバスツアー。
九州でのツアー、昨年のトップは、”九重夢の大吊橋で”今年のトップは
”復元なった熊本城本丸御殿”ツアーです・・と添乗員さんの説明でした。
「同時に二箇所観れたお客様方は幸運です」なんて説明もあった。



極度の高所恐怖症という病気?持ちの我なれど、皆で渡れば怖くないと
歩き出したけど、写真のところでストップ。出始めの広いところに戻り、
再度思い直してチャレンジ。
1回目より2〜3歩前進。既に友人達の姿は見えず。
再度回れ右を2度してバック。
3度目しばし躊躇した後、車椅子を押している方の後ろに付いて歩き出したけど
何の効き目もなく、2回目より2〜3歩前進したところで、
{ふわ〜〜〜っと目まいがして足がよれよれ}になって、
暫らくの間、歩くのも揺ら揺らして雲の上の如き状態で。これってヤッパ病気。
・・・で橋の手すりにすがり付いて[無念の大吊橋渡り断念]・・・
橋のそばの丘でつり橋遠景を200%満喫シタノデス。
友人達が渡って帰ってくる姿を収録。渡れる人にはこれはデキナイノダ。
チナミニ、丘のベンチに同病相哀れむ赤の他人同士が数名いたよ。
はははあっ〜と。


大分県から熊本城に。やまなみハイウェイから写した九重の山並みと
雲海の如き霧らしき遠景が走行中のバスから、山々木々の間から
見えたので、写るも八卦写らぬも八卦でシャッター切ったら
写ってました。



↑熊本城大天守閣の遠景と近景。
天守閣の一番上で写した一番上の屋根瓦です。
四方のうちの1箇所に草がすくすく伸びてたのには、メッチャ感動したねえ。
なんだか嬉しくなって写真撮った。
チナミニ、瓦の紋模様は加藤清正の家紋。
「兵者(ツワモノ)共が夢のあと」なんて、チョットの間感慨。


↑最後の1枚、最近復元された「本丸御殿」の中の一部です。ピンボケ。
フラッシュは駄目とのこと。金箔等に影響があるとのことだし、
この部屋は入れず廊下から写した。
ちなみに、家老の部屋までは這入れました。
豪華なキンキラ金で、手振れを起こしピンボケしたのだろう。トオモウ。
記念に、本丸御殿内の、便所を使用。新品ピカピカの近代的なオトイレ也。
  

加 1588年、加藤清正、肥後北半国19万5千石の領主として
藤       隅本城(古城)に入る。
家 1600年、関が原の合戦。清正、肥後南半国を併せ54万石を領す。
  
二 1601年、清正、新城(現熊本城)築城に着手

  1607年、新城落成、隅本を熊本に改称。

四 1611年、加藤清正50歳で病死、三男忠広が家督を継ぐ

四 1632年、加藤家改易、出羽荘内へ配流。

  


歴史のこと全然分からないので、加藤家の件、独断と偏見で考えます。
多分秀吉が、改易・配流したんだろう。姑息で悪い奴。秀吉さん、息子のため
欲が張り、立派な城ゆえ加藤家が邪魔になった?・・・で改易・配流に?
秀吉、特に老年は無様。
貧しい平民のアタシが今世紀、本丸御殿のベンジョを存分に満喫したよ。
ばんざ〜〜〜〜い!!!
地獄の底で、蜘蛛の糸を上ってる秀吉君、若しかして、若しかして
世が世なら、アタシを切腹させるかも?

それにしても、日本の国会議員、2代目3代目が半数ってゆうじゃな〜〜い。
この民主化の時代、このグローバルの時代にこれってアリ????
国会議員が先祖の地盤を踏襲するって公平で正しいことなの?
つらつら思うに考えるだけ無駄。選ぶのは
国の大多数を占める平民選挙人なんだもの。
おのおの方、今や、地域のことだけでは、生き延びられない時代ですぞ!