二人の弟が東京、埼玉から来た。

hibi2tiyo2010-10-13

私は痴呆症の父と暮らしてます
(I live with father of the dementia.)
☟参考までに
*demerit=(名詞)欠点・落ち度。
(merits and demerits=長所と短所)
*dementi=フランス語(名詞)公式の否定   
発音に興味のあるお方は辞書を引いてみてね。
dementia=痴呆・・こんな難しい英単語覚えられん!と、ふてくされたところ、辞書で上記を発見。
うーむ、成程なるほど!ふてくされ解消です。

去る、7日〜10日(3泊4日、内1日は簡保温泉センターで
全員で宿泊)関東在住の二人の弟達が実家に帰郷してました。
近場の妹は2泊。
二人の弟が東京、埼玉に帰ってから早4日。
実家に帰郷中、余りに賑やかで、楽しかったので、帰った後の
静けさたるや、寂寞とした寂しさが襲ってきたけど、父のボケに
つきあって、当方、癇癪を起し大声出し、大ため息をついて
肩を落としてるうちに、4日目にして日常に戻ってきた。
弟達が帰ってからの父のボケ
8、9日のレシートを財布から出して「これは何かね?」と繰り返す。めんどくさいので無視してたけど、返事するまでしつこく繰り返し聞くので、
「8日に皆で子供のころ暮らしてたI市F町のN鉱業の社宅があった所に行ったじゃないね!其の帰りに中華料理屋さんで昼ごはん食べたでしょ!その伝票!」「ほほ〜〜〜」「これは何かね?」「帰りに大きな果物屋さんに寄って果物をたくさん買ったでしょ!」「買った後、お父さんがマンゴープリンをたくさん買ってたじゃない。其の伝票」「ほほ〜」
「9日の伝票は、佐賀空港を見に行ったじゃない!其の時、2階のレストランで広い滑走路を見ながらラーメンを食べたじゃない。其の時の伝票よ!!」「ほほ〜〜」一段落し、これを繰り返すこと数回。おまけに
昨夜は、「あれは誰かね?」

当方、ワーッて絶叫咆哮したい気持ちをぐぐっと抑えて
「お父さんの子供の息子達じゃないね!」「え〜〜そうかね」ピンと来ないみたいで、当方、ええ〜いくそ!と立腹して
父が写真立てに入れて何時もテレビのところに飾ってる我々姉弟妹が
幼稚園、小学生、中学生のころ母と一緒に座敷に座って全員で
写ってる写真を父に押しつけて「TさんとYさんじゃないね。お父さんの息子達じゃないね!」
・・とやおら父は笑いながら「ああ〜そうだったね、しかし、この子は大きくなったもんだね」と直ぐ下の弟を指さしながら、のたまわった。思わず「わハハハハ」
おまけに、2番目の弟と、3番目の弟(H14年没)を指さして
「この子はK大に行った、この子は・・え〜〜と、え〜と、え〜と」と何時までも続けるので
「F大よ!」「あ、そうそう」ばかたれが」これは我が口の中で。
「わはははは」当方笑えて笑えて、其の時の父の言葉のトーンを思い出すたびに一人「クククククッ」と思い出し笑いを
止めるのが苦しいここ数日ナノです。
確かに、直ぐ下の弟はかって、J大卒後、高校体育教師をしてたので
縦横デカイ。その上最近は体重増加で、若けりゃ相撲部屋から
スカウトにくること間違いなし。(●^o^●)
・・・てなことで当方は、弟たちがいる間は、弟たちが癇癪、大声を出してるのを眺めるだけでも楽しかった。のであります。
☟8日に買った果物(梨、柿、カタカナ(忘れた)の大粒巨大ブドウ)と
パッションフルーツ  中の種を食べます

スターフルーツ  元の形は長さ10センチ程
外側の皮をむいてスライスです。


南国の味デス。食べ始めてデジカメを思い出しました。
日頃身銭出してまで買う気はありません。
日頃は日常的な果物の梨、ブドウです。
佐賀空港の表玄関です。
母生存の時(H13年ごろ)開設されて間がない空港を両親と
2番目の弟と一緒に見物に行きました。其の当時は(見物)客がそこそこ
多かったけど、今回は(見物)客も閑散で、大赤字の空港らしいです。


筑後川昇開橋帰り道で渡った橋から写しました


↑実家にある写真集の説明によれば
国鉄佐賀線の通過時を除いて、船舶を運航させるため昇降式の稼働橋
として、昭わ10年に開通した。昭わ62年の佐賀線廃止とともに、
其の役目を終え、遊歩道として活用されることになった。
平成8年、国の登録文化財となる。

との説明文が書いてあります。
実家の本も山ほど処分したけど、これは処分してなかった。
なんせ価格11,000円。値段だけ見て処分しなかった。のです。
2001年発行。