西鉄バス日帰りツアー「佐世保海上自衛隊艦艇見学と弓張の丘ホテルでの入浴とランチバイキングの旅」に参加

hibi2tiyo2012-07-01

1.昨日今日と暑い。  
2.昨日、今日と暑い。    
3.昨日も今日も暑い。
訳文  
1.It is hot today yesterday.   
2.It is hot with yesterday or today.    
3.It is hot yesterday today.

1.の日本文を英語にしたらわたしは3.のような英語に。
トコロガ、ネット英語翻訳Weblioで確認したら
上記1.2.3のようになる。この違い分かります。
あれこれ試行錯誤して考えたが(1時間)めんどくさくなった。
・・で自分流で納めることにした。1.=3.しか
わたしの頭には収納できない。試験受けるわけじゃなし(>_<)アホクサ
クタビレタ〜でも2週間ぶりに書く気になったので少し頑張ります。
昨日は31度で湿度82%。今日は28℃で湿度75%。
昨日はなんとも蒸し暑かった。昨日今日と午後からエアコン26度で
入れっぱなし。去年まではエアコン23度位に設定してた。
年が増えて体感温度が鈍くなったのか節電意識が身についたのか不明。
そういえば、昨日6月30日九州電力株式会社から7,8,9月の
計画停電カレンダーが送付されてきた。ハガキ6枚に一覧表が書いてあるけど今いち読めない。どうも対象外になってるみたいにも読めるけど
まあ何にせよ少々の停電は受け入れOK。ご随意にというところ。
戦後中国大連から引き上げてきて{幼少のみぎり}以降のことを思えば
いかほどのことでもない。しかし深刻に困る人も多いでしょうに。
サテとこのブログの話は1週間前の日曜日6月24日に戻ります。
西鉄日帰りバスツアー佐世保に行きました。
佐世保港は大連から引き揚げの時着いた港です。
亡き母が「はりおについたのよ」と言ってました。・・で是非行きたかったのです。佐世保海軍資料館の案内人の方に聞いたら針生港では無く
その地区全体が針生島とのことで、S22年からS24年にかけて中国からの引き揚げ船が佐世保軍港に沢山入ってきたとのこと。多分そのうちの
一船に我が両親と私弟4名計6名が乗ってきたのでしょう。
妹だけ日本生まれ。
海上自衛隊艦艇上甲板見学」は諸般の事情により見学取りやめ。残念
どうも不審な中国船の領海侵入警戒で出港してるのではないかとのことでして・・
次「無窮洞」見学。行く途中右手にハウステンボスが見えました。
ハウステンボスは亡き父の77歳のお祝いの時、我が兄弟一族郎党
22名が、小型バスを我が次男が運転してくれて長崎、佐世保と一泊
がけで行きました。その時引き上げに関する港については両親から話が出たのかどうか記憶にない。佐世保(軍)港からハウステンボス
近い場所でした。長崎は至る所海だらけですからね。
ハウステンボスは、後、hibi2tiyoでない頃にも職場関係の友人たちとも行ったので、つらつら数えれば佐世保は今回で4回目だあ〜ビックリ
「無窮洞」(むきゅうどう)
昭和18年から終戦までの2年間で子供たちと先生で学校の裏山の
凝灰角礫岩という掘り易い岩でできた山に防空壕を掘り始めたそうです。軍港がある場所ですので子供たちを守るため校長が先頭に立って
掘ることにしたそうです。子供達と先生方で手掘りで掘った大型の
防空壕。上級生が掘り下級生が岩土を運び出したそうです。よくぞ子供たちがこれだけのものをと感慨ひとしおでした。アリの一穴という言葉があるけどまさしくそれ。
一穴から始めたのですよ。しかも、つるはし等で掘った後、
磨きもかけた立派な防空壕というよりシェルターです。
縦横と驚くほど広いです。小中学合わせて500人ほどいたそうです。
終戦になり殆ど使うことも無くそのままの状態で残ってます。
一見の価値ある防空壕です。おどろくほど広くて「よくぞまあ!」と
驚きです。いずれは若しかして世界遺産になるかも・・・
子供たちの手で掘られたシェルターとして。
25年前?頃無造作に見学した筑豊の田川にある石炭記念館の
山本作兵衛さんの炭鉱坑内の絵も最近世界遺産になったしね。

今は道路と川が広くなり傍には学校と役場はありませんでした・・







↓掘り進むにつれ息苦しくなり空気抜きに縦穴をほったそうです。

奥の方の天井掘りの所で終戦になったので低い天井のままです。


天皇陛下の写真を掲げる部屋もありました。写さないまま
水路もちゃんと掘ってました。
便所もつくってました・・けどこれは見落とした。
しかしそれにしても「想念厳をもうがつ」っていうけど、子供たちで
ここまでできるものだと、ただただ驚くばかりでした。
心を一つにし、目的を一つにして掘ったのでしょうね。
「これを掘りました」という80歳前後の方も訪ねてこられるそうです。
曰く「ただただきついばかりだった」とのことです。
これらの方が生存中にでも国定記念物にでもなるといいなあと
思いながら次の場所に。今日はこの辺で。
書き初めの英訳で疲労のきわみ。
巻頭の写真は九電の計画停電スケジュール表。この6ページにわたる
ハガキだってどうせ電気代に上乗せする受給者負担になるだけの話。