大蕾一杯の木蓮の枝3本切られた。超お気に入りのウインナーコーヒーの店

hibi2tiyo2010-01-24

今日のイカーの中は夏の暑さだった。
(It was heat of the summer in today's may car.)
午後3時、毎度のごとく父の「簡保に行くぞ〜」の掛け声で腰を上げて自室から出る。
車の運転席は真夏の暑さだった。
3日ほど前の寒風が吹く寒い日の朝食後、家中にも、庭にも父の姿が見えないので、
この寒いのに「まさか!」と思い長靴掃いて裏庭に出てみたら父が、脚立と、のこぎり持ち出し、
おまけに寒いので毛糸の帽子までかぶって木の枝の切断を!!!
ひょいと見たら時すでに遅し!!木蓮の木の枝を3本切り落としてた。
「わあああああ〜〜〜〜〜何してるの、それ木蓮の木の枝じゃない。しかも間もなく咲きだしそうな
一番大きな蕾がついてる枝を3本も!!!」

暫し呆然自失、愕然、がっくり。
父も、臈たけたるド―タ―の余りの大声に仰天し、暫し呆然として木の上を見上げながら
まだ残ってるっ!」って。
木蓮の木が高く茶の間から下のほうだけを見て枯れ木だとおもったのかも・・・・・と
↓気を持ち直して、驚愕した記念に切り離された枝を写真に写した。

ついでに庭の↓彼岸花の葉です。別名「曼珠紗華」まんじゅしゃげ


花が咲く前の8月頃には、葉っぱはきれいに消滅し、9月の彼岸のころには赤や白の
きれいな花が咲きます。(当ブログの昨年9月23日に華を掲載しています)
華が終わった後に葉っぱが出始める・・・という摩訶不思議な華と葉です。
花と葉は地上では逢えないのです。考えるほど不思議な気分になる。
↓庭のあちこちで万両の赤い実と水仙


↓ついでに数年前突然切断されたサクランボの木の姿

母が亡くなった1年後まではサクランボが沢山なってた。
数年前、ある日突然サクランボの木が切断されてしまい大ショックを受けたのを思い出して
切られて4年程経過した残リの木をを写した。
サクランボの実には小鳥がたくさん来て良き風情でした。
又、小鳥がフンをするので見慣れない植物が芽を出す利点もあるような気もしてたのです。
その当時、妹が父に「なんでサクランボの木を切ってしまったと?」って聞いたら、父が
サクランボの木とは何か?そんな木は知らん!」「有ったじゃない、毎年沢山実をつけて
熟れたら小鳥が食べるので熟れる前にちぎったりしてたじゃない!」なんて妹が癇癪起こしながら
繰り返ししてたのを思い出した。
そういえば、3番目の弟が大学病院に入院してる時、母がお見舞いに、容器一杯
この木のサクランボを持って行ったりしてたのも時々思い出す。
↓実家の蠟梅、びっしり咲いてる。雨の後などは、まさしくその花の様子は
蝋のごとき味わいを醸し出す。

この木の枝もちんちくりんに刈り込んである。
その成果なのか花がびっしり。
我が自宅の蠟梅は切るのが惜しくて伸び放題なので枝と葉にばかり栄養が行って
花はこのようにびっしり咲かない。
蠟梅は枝ぶりが芸術的なので切るの惜しいのです。
父は、会社定年後、盆栽教室に熱心に通ってたもんねえ〜〜〜なにはともあれ!
↓ついでに、大中小のザボンが10個なりました。
母の7回忌に全部採果した。観賞用に残したいのだけれど、次回又花を沢山咲かせるために
全部ちぎりました。美味しかったああ〜〜〜
10個も結実したの初めて。今まで最多7個だった。

但し、ダイダイの実は10個しかならなかった。毎年30個以上結実してたのに・・・・


・・・で話は前に戻ります。木蓮の枝、切り落とされた日はがっくり来て、絶望感に満ち満ち、立ち直りを促すため、気分転換に
実家の家から車で5分の行きつけの喫茶店に午後から行き、
ウインナーコ―ヒ―飲みながら、週刊誌を2冊読み、とぐろを巻いていた
ここのウインナコ―ヒーは超美味しいのです。
我が自宅のある都会の街のいかなる店も、ここのウインナーコーヒーに勝るものを飲ましてくれたことはない。
このウインナーコーヒー
実家での隠遁生活のごとき日々を暮らせることができる要因としての楽しみの一つでもあります。